はじめに
昨年の年末に島原へ旅行へ行きました。
島原は自然と歴史に触れながら、災害大国日本に生きていくための知見を得られる素晴らしい場所でした。町全体で子連れにも優しい雰囲気がありました。
トリプル勢はこれまでも、季節感や日常生活のふとした瞬間、大自然とのふれあいや歴史からの学びの中に構築のヒントを見出だしてきました。
今回は少し難産でしたが3DSオンライン環境最終盤にこの島原での学びや体験を生かした構築を組むことができたので、紹介したいと思います。
島原城
雲仙岳の次は島原城へ行った。島原城は江戸時代初期に島原藩を納めた松倉重政によって築城され、その後松平氏等の4氏19代の居城とされた。
明治時代に一度解体されたが、人々の強い祈りが届き1960年に「西の櫓」が、1964年に「天守閣」が復元された。
まずはお城の前でパシャリ。
中は島原の歴史が学べる資料が展示されていた。
歴代島原城やその家臣たちの甲冑や刀。
隠れキリシタンたちが密やかに信仰を続けるためのお祈りの道具(仏具の見えにくい所に聖母マリアが彫ってあるようなもの)。
※撮っていいか分からなかったので展示品の写真はなし。
島原……
隠れキリシタン……
カクレ……
トリラー来たな……。
初めて知ったのは江戸時代に起きた島原大変という大災害。原因は火山活動とも群発地震とも言われる眉山の崩落で1万5千人が命を落としたそうだ。一方で現在島原の市街地はこの崩落で埋め立てられた土地も多いらしい。マグマ団が勝利した世界線。自然の脅威と自然の恵みは表裏一体であると感じさせられた。
天守閣は美しい山々と母なる有明海を一望できる絶景スポット。上記の眉山も見えて崩落して抉れた山の形から当時の被害の大きさも伺えた。
天守閣の次は同じ敷地内にある西博記念館へ。
島原出身で長崎の平和祈念像の作者である北村西博氏の美術館である。
平和祈念像は立った状態のデザイン案もあったらしい。安定してどっしりとした力強い平和への祈りを表現するため座ったデザインになったそうだ。
こうして、島原城でたくさんの学びを得てホテルへの向かった。
ホテル南風楼
今回泊まったのは南風楼という島原でも有名なホテルだったがここがまたすごかった。
まず入るとロビーにたくさんの本!好きに読んでいいらしい。
部屋にはオーシャンビューの露天風呂付き!
Switchも備え付け。初めて触った!
夕食はふぐ!しゃぶしゃぶ!天ぷら!釜飯!竜宮城か?
子連れへの心遣いもとても嬉しかった。
その他にも犬や山羊、ヒツジ等の動物との触れあいができたり、
※動物の写真を撮りそこねたので他サイトより引用
ボールプールやアスレチックのあるキッズコーナーがあったり、
イルミネーションが綺麗だったり
至れり尽くせり。
気に入り過ぎて危うくお腹の中にいた次男の名前が南風郎になるところだった。
ありがとう南風楼。島原に来ることがあればまたここに泊まりたい。
羊か……
がまだすドーム(雲仙岳災害記念館)
この日は雲仙岳災害記念館、通称がまだすドームへ。
ここでは上述の江戸時代にあった島原大変と、平成3年に起きた大規模火砕流を中心に災害に関する学習ができた。
特に平成3年の大規模火砕流については実際の火砕流を床に立体映像で映し出して迫り来る速さと恐怖を体感できたり、どれくらいの規模の被害があったか俯瞰できるジオラマがあったり、当時を再現した映画を見たりとかなりの学びがあった。
※例によって撮影可か分からなかったので写真なし
1日目に見た雲仙岳の雪が積もった部分は平成2年から5年の噴火活動で出たマグマが固まってできたものだったらしい。所謂平成新山である。火山活動の力ですげー。
それと中学校でやった火山の形とマグマの粘り気についての学習のおかげでより学びを深めることができた。ありがとう義務教育。
画像はこちらから引用
平成の雲仙岳の群発的な噴火はかなり離れた自分の実家の屋根にも火山灰が積もったという話を母から聞いていた。こうして詳しい資料に触れることで当時の噴火の影響力の大きさを改めて知ることができた。
火山活動は時に人間に牙を剥き命を奪うが、日本ではその恩恵を受けることも多い。いかにして共存していくかを考えることができるとても良い施設だった。